Q:香川先生は大学生のときに、HIコースの高木教授の授業を履修されていたと伺いました。当時の様子を教えていただけますか?
高木先生に出会ったのは、中央大の学部3年生のときです。当時、高木先生は非常勤で授業を2コマ持っていらっしゃいました。1つはピアジェとチョムスキーの論争についての非常に難解な本をグループで読み合わせて解釈を発表して、その議論の質を競うという演習授業。もう1つは、状況的学習論、活動理論の講義でした。かなり深い理論の話しを学部生相手にすごいスピードでされていて、ついていくのが大変だった(笑)。
演習授業も、めちゃくちゃハードでしたね。多分、卒論の次ぐらい、卒論よりも大変だったかもしれない(笑)。でもなんかそれが、すごく面白かった。同じグループの学生は、みんな1人暮らしだったので、誰かの家に泊まって、朝までずっと議論する(笑)。これはこういう解釈じゃないか?いや、こうだ!って。そんなふうに、毎週、1日泊まり込んで発表の準備をするっていうのが半期続いた(笑)。結構しんどかったし、読んでいる本自体難解でよくわからなかったですけど、議論して解釈を出していく、それに取り組むということがとにかく面白かったですね。何度発表しても先生は,解釈の正答など教えてくれない(笑)。間違っている,正しいというような評価は基本しない。ただ,議論の中身やアプローチに鋭くコメントをしてくれるといった形でした。講義の方も先生の話しが面白くて、単位とは関係なしに、純粋に興味関心で授業に出ていました。
余談ですが,最近…なのかはわかりませんが,「分かりやすい」ことが良くて,「難解なこと」や「分かりにくいこと」を単純に悪としてしまう,ちょっと偏った風潮があるように感じることが少なくありません。ですが,少なくとも学問というのは,よくはわからないけど,なんか引っかかる,その答えを自ら苦悩しつつ探り出そうとする,というプロセスが実は,面白さの根っこにあるものだと思うんですよね。その苦悩を避けて,手っ取り早く分かりやすい言葉で伝えてもらって,なんとなくわかった気になって終わる,というのはちょっともったいないのかも。実は学問という実践だけでなく,知識は何となく…の先に,自らの苦悩や創造やローカライズがないと,学びになっていかない,自分のものにならないと思います。もちろん,分かりやすいことが悪だと単純に言いたいわけでもありません。
話を戻すと,僕は、その授業で状況的学習論や活動理論のことを知って、その内容がそれまで習っていた心理学とはある意味全然違っていたので、それもすごく面白く感じた。心理学って、一般的には,実験や質問紙をやって、頭の中イコール心のメカニズムを探るというアプローチですけど、先生はその真逆の話しをされていて。例えば、LDと言われている子どもが,その場その場のコミュニケーションや状況によって,実は多様な姿を見せることを示した研究だとか,実験者や学校の教員の期待の裏側で,実は被験者も生徒も動いたりしているだとか。素朴実証主義というか,数量研究万歳といか,そういう従来的な心理学の考えについても,考えさせられるようになりましたね。そんな考えの方が,それまで知っていた心理学よりリアルに感じたし,既存の考えを揺さぶるところに面白みを感じました。つまり,学生という初学者ながらも,それまで心理学に感じてしまっていた色々な疑問に答えられるんじゃないかと,面白みを感じたんです。まあでも,当時はよくわからないことが盛りだくさんのまま,殆ど直観で「これだ!」という感覚でした。
そして,それがひいては、自分がもともと関心のあった,「そもそも人間とは何か」、「人間の精神とは,活動とは何か」という哲学的な意味での問いの探求につながる気がしたんですね。他方で、それまで心理を実践に生かすといえば臨床心理学という感覚で自分はいたのですが,臨床とはまた違う全く新しい形で,心理学を実践に役立てられるんじゃないかっていう、将来性や開拓のしがいもあるのではないかと興奮しました。そんな形で,思想的な面白さと、実践的な可能性をすごく感じて、この領域で頑張れないかなという風に思ったわけですね。高木先生の授業との出会いがなければ,今の方向に進んでいたことはありませんでした。さらにその高木先生は佐伯胖先生の血を受け継いでいますから,佐伯先生がいなければ,この領域を私が知ることもありませんでした。
それで,大学院は,同じ状況論,活動理論をご専門とされている,筑波大学大学院の茂呂雄二先生の研究室に入らせていただきました。これも,高木先生の授業で紹介して下さった,この分野を牽引されているという,茂呂先生の「具体性のヴィゴツキー」という本がきっかけでした。この本も非常に難解でしたが,心理学では見かけたこともない(笑),独特な文体と芯のある主張に,惹きつけられました。難しいのですが,吸い寄せられるような本です。
心理学は,自然科学へのあこがれが強いため,結構形式を重んじるところがありますが,茂呂研は,形式的なことはあまり厳しくなく(笑),むしろ議論の中身というか本質というか,例えば,面白い発想か,挑戦的か,どこまで深く考えられているか,といったところが中心でした。その分,他の研究室に比べ,形式的ミスというか,そういうのが多かった気もしますが(笑)。
ですが,高木先生の演習もそうでしたが,こういう本質的なところから入った方が,長い目で見ると,大事なその人独自のセンスを伸ばすことにつながるのではないかなと思います。形が整っているとか,流れがスムーズ,はきはきしている,とか,そういうのももちろん大事なのですが,そうした評価で殆ど判断してしまうのはちょっと表面的ですしもったいないかも…とは思います。
茂呂先生は知識を教えてくれたりとか,こうしろと指示をすることはあんまりなく,文献の紹介や問いかけ,或いは,無言の空気の厳しさ(笑)が中心でした。もちろん,アイデアの種のようなものは提案してくれたりもしますが,基本は自分で色々文献を読んで,自らがじっくり考えて形にせよ,というスタンスで,今もそうですね。逆に,かなり苦しかったし辛かったですが,一番大事なものを教えていただいたと思い,本当に感謝しています。
Q:そもそも心理学に興味を持たれたのは、いつ頃からですか?
それは、高校生のときからです。まぁ思春期なんで、いろいろ悩んだりするじゃないですか。そのときに、その悩みと勢いとで、小説とかを自分で書いてたりしてたんですけど(笑)。当時、人間ってどういう存在なのかとか、非常に薄い素朴なレベルで疑問を持っていました。ちょうどその頃、カウンセリングとか臨床が話題になった時期で、河合準雄先生なんかもテレビに出られていて、それで心理学という分野を知りました。そういう意味では、最初は臨床に関心があったんです。でも実際学部に入ってみて、いろんな心理学を学んでいくんですけど、面白いという反面,さっきしゃべったような疑問もあった。疑問を感じるというのも大事な勉強ですね。そんな中,3年生からのゼミで,ヴィゴツキー論の大御所の天野清先生にお世話になり、ヴィゴツキーの理論の奥深さを学びました。そして,高木先生の授業を受け…,という流れです。
「HIコースインタビューVol:1-② 香川秀太准教授に聞く」へ続く…