この本は20世紀を代表する1冊とか言われて大変に有名な本である.200年の出版当初から非常に話題になった本であるり、直後の購入したが本棚の奥の方に鎮座したままであった.しかし、前の本(一万年の進化爆発)に触発されて、ようやく読んでみることにした. なぜユーラシア文明が世界を席巻したか、逆を言えばなぜ人類発祥の地のアフリカの民が世界を支配することが(一度も)なかったのか,スペイン人たちはなぜ100名程度の軍隊でインカ帝国を征服できたのか、また逆に言えばどうしてアボリジニは世界を征服することはなかったのか,こういう問題設定のもとで探究を進める.
これについてヨーロッパ人は進んでいたから,知的に優れていたからという説明はなんとなく素人が考えてしまう.つまりユーラシア大陸の人々、もっと言えばヨーロッパ人は、そもそも遺伝的に何か優れた形質を保持しており,その結果文字を発明し,家畜を飼いならし,大規模農業を展開し,文明を築いた.それに比べて,アフリカ人(バンツー族,コイ族、サン族、北アフリカ系等、本当はひとまとめにできなのだが),ネイティブ・アメリカン、アボリジニは、そうした形質を有しておらず,農業も,牧畜も,文字も,文明も作り出すことはなかった.こういう考えはかなりの人に共有されているのではないだろうか.
そういうメンタリズム、優生学に基づく素朴歴史観を否定するのが彼の立場だ.それではなぜヨーロッパ人が来るまでの間,アフリカ、アメリカ、オーストラリアにはなぜ農業や牧畜が広がらなかったのだろうか.非常に簡単な説明が用意されている.たとえば、家畜に関していえばユーラシアには、馬,ひつじ,豚,牛,ヤギなどが存在している.一方、アフリカは確かに野生動物の宝庫であるが,これらの生き物は家畜には向いていなかったのだ.手元に本がないのでちょっと要約し過ぎになるが,家畜になるのはまず草食でなければならない.肉食動物のえさ(つまり草食動物)を見つけてくるのはかなりコストがかかり,家畜に向かない.次におとなしくなければならない.人を殺す可能性がとても高いような生き物,どうやっても反抗するような生き物を家畜にすることはできない.たとえばシマウマは馬の代わりとして,アフリカ仁たちの騎馬軍団を構成してもよかったはずだ.しかし猛烈に凶暴で,かつ人になつかない生き物らしい.カバも同様で、肉がたっぷりあり,豚の代用としてもよかったはずだ.しかしカバの凶暴性はかなりすごいらしく、アフリカでの野生動物による死者の数はカバによるものが最も多いらしい.また、一見家畜にできそうだが,飼育環境下ではセックスをいやがる生き物もいるそうで(たとえばチータ)、こういうのもむろん家畜化はできない.またいるにはいたが、人間が食べ尽くして住まい程度しかいなかった大陸もある.他にもいろいろと条件があったが,こうした家畜化の条件をすべて満たす動物は、ユーラシアにはほどほどいたが,他の大陸にはほとんどいなかったというのが、彼の説だ.仮説ではなく,実際の数を出しているところが偉い.また農業に関しても同様であり,栽培に適した植物がユーラシアにはたまたまたくさんあったが,他の大陸では限定されていたそうである. ちょっと要約し過ぎなのだが、つまりユーラシアの文明の発展は
- たまたま利用できる植物,動物がそこにあったこと,
- それを栽培,飼育するのに適した環境があったこと、
- 家畜の飼育によって家畜由来の病原菌に対する免疫を獲得したこと,
- それによって大規模な集団を養えるだけの食料生産が可能だったこと,
- 大規模集団の発生によって食料生産に直接関わらなくよい人が存在できたこと(軍事や工業に従事する人など)
- その伝播を助けるための地理的条件があったこと(ユーラシア大陸は東西に広がっているのに対して,アフリカやアメリカは南北に広がり、同じ作物が栽培できる可能性が低い),
によると言う. こういうところは,「一万年の進化爆発」の主張とは真っ向から対立する部分を含んでいる.つまり地理的偶然がきっかけとなって,農業が起こり,これによって人口が一定の地理範囲内に集約されてきて、その結果様々なものが生み出され,結果として現在の繁栄がある.つまり、その地域がたまたま偶然に有していた条件によるものであり,そこに住む人の生物学的、あるいは遺伝的な要因(病気に対する免疫は除く)とは無関係であることをジャレッド・ダイアモンドは主張している.また遺伝的な違いを否定する証拠として,農業も家畜も(自然環境さえ整っていれば)導入されたとたん,今まではそれが行われていなかった地域に一挙に普及してきたことを挙げている.実際,現代ではアフリカでもオーストラリアでも農業が行われ,移入された家畜が育てられている. 本筋の部分ではないのだが,おもしろかったのは国家の形成に関する部分だ.国家が形成されるようになると、自分は働かずに人を働かせる階級が出現する.ふつうの感覚だと,そんなずるい、となるのだが、そうならないようにするための方法は2つあるそうだ.
- 宗教、神話の創設:つまり働かない人たちはそれでいいのだということをみんなに納得させるための物語づくり.法律というのもそういう側面がたぶんにある.
- 武器の管理:文句を言う人が暴動をおこなさないように、彼らから武器を取り上げ,文句を言わない人(の一部)へ武器を与えること.
なるほど、そういうことだよね.学校もこういうシステムの一端を担っているのは確実だ.