昨日から教育心理学会で静岡に来ている.この町は小学校6年生から高校1年生まで暮らしたということで,大変に懐かしい.小学生,中学生をみると,昔の自分をみているようで,切ないというのか,微笑ましいというのか,励ましたくなるというか,何ともいえない気持ちになる.
さて午前中は批判的思考のシンポジウムに出た.批判的思考は自分が現在行っているプロジェクトである大学生のレポートライティング教育に密接に関わるものであり,大変に興味を持って出かけた.発表者の方々は,いずれもその分野でしっかりとした研究を行っている人たちばかりであり,大変に実り多いものであった.みなさんは,批判的思考万歳みたいな感じではなく,それが用いられる文脈,状況などを込みにしたより複雑で包括的なモデルを目指しているように見えた.また教育的な重要性だけでなく,認知モデルとしての展開もかなり期待できるんじゃないかなと感じた.個人的には,批判的思考とはどのような思考のアマルガムであるか,その本体は文脈や内容とどの程度関係しているのかが気になった.
午後は,自分のポスター発表を行ってきた.批判的読みを直観的で感情的な思考により促進するという,なんとも聞くからに違和感を感じるネタで発表を行った.簡単に言うと以下の通り.
- レポートライティングには資料に対する批判的読みが必須である.
- しかし批判的読みを論理学や批判的思考をベースに行うことは1年生には難しい.
- 一方,感情や直観というのは得てしてまともなことが多い.感情は認知のパートナーである,という知見がある(Damasio, Dijksterhuis, Thagardなど).
- そこで批判的読みを行うときに,「ムカッ」とか,「へぇ」などの表現しやすい直観的なタグを用いてコメントを書かせると,批判的思考が可能になるのではないか.
- そもそも我々プロだって,厳密に論理で論文を分析することは少ないし,仮にやってもそれは2,3回目に読むときの話だ.はじめは「おっ,これいいじゃん」,「なにこれ」などの直観的,感情的な反応が先行するのがふつうだ.
ということで,EMU(Emotional and Motivational Underliner)というWebベースのマーキングシステムを作り,これで資料に感情的なタグ,コメントをつけさせるとどうなるかを検討した.紙で行うときに比べて,このシステムを使うと少数のいいコメントがなされることが分かった.で,それがいいレポートにつながるかと言えば,そうではなかった(紙でやったときと違いがない)。しかしタグを上手に使った人たちのレポートはそうでない人に比べて,優れたレポートを書くことがわかった.
小林さん,荷方さん,福田さん,清河さん,白水さん,河崎さん,小沢さん,あと数名の方からたいへんに有益なコメントをいただき,今後の研究の展開の方向が見えてきた.この場を借りてお礼申し上げます.
その後,本学の寺尾くんと一緒に少し話した.その中で,認知的な教育心理学研究(昔はinstructional psychologyと言いました)は,スキーマと素朴概念で大きな展開は終わったのではないかというような話が出てきた.私としては学習科学研究,分散,協調認知研究も変えた可能性が高いという話をした.ただ実際には教授心理学的なものにはあまり関心を持てなくなってきた(教材研究の心理学とか言うものには関心がなくなったと言うこと).どうしてなんだろうかといろいろと考えていたが,たぶん「認知のコア」に関わるような話が少なく,個別教科,単元の学習指導みたいな話がメインになったためではないかと思う.
スキーマの話は元々が知識表現,知識ってどんな感じになっているのというきわめて認識論的な関心から始まった.これがはじめは言語理解,次には問題解決などの分野で取り上げられ,各々の領域での知識の特性を加えながら発展をしていった.素朴概念はいわゆる教育的な文脈でととらえることもできるのだが,実際には「学習って何よ」みたいな,これまたきわめて認識論的な課題を我々に突きつけたのだ.どんなに教えても,ほとんど効果がない,どういうことよ,という話だ.
自分は,こうした認知の根源的な問題を探求するために教授心理学をやっていたことに気づいたということでよいディスカッションがなされたと思う.
翌日は,最終日にお話をされる東洋先生や,益川さん,白水さん,村山さんたちと一緒に食事をした.