ダイナミカル宣言II:反応パターンを誤差にするな

誤差について考えてみたい。普通心理学の実験では、ある要因をコントロールして、その結果の変化を見ます。たとえば、発達心理の場合で言えば、年齢という要因をコントロールして(つまりさまざまな年齢の子供を対象とする)、調べたい能力を測定すると考えられれているいくつかの課題を与え、その差を見ようとする。そうすると年齢xの子供は正答率がX%であるが、年齢yの子供は正答率がY%であるなどという結果が出てくる。正答率XとYが大きく異なっていて、かつ年齢xとyが十分に近ければ、その能力はxからyの間に発達するなどという。もう少し大胆な人は、xはA段階でyはB段階だなどと結論づける。

正答率X、Y%という場合、もしそれが0と100でないとしたならば、x歳児でも少しは当たっていることもあるし、y歳児でも少しは間違えているということになります。ここの少し当たった、少しはずれたという部分はどういうふうに扱われるでしょう?答えは「誤差」です。分析(特に統計分析)の時点ではなかったことにするというわけではないけれど、結論部分では無視されることがふつうです。仮に、無視されない場合でも、「それはたまたま当たった」とか、「用いた課題のうちのいくつかが適当ではなかった」という形で扱われてしまう。むろん、まったく不適当な課題が含まれていて、それがx歳児の成績を引き上げ、 y歳児の成績を引き下げるということもないわけではない。だから、このようなまとめかたは必ずしも間違いとは言い切れないともいえます。

しかし、通常我々の目に触れるような論文は厳しい査読を経て公刊されたもので、まったく不適当な課題が用いられた可能性は少ない。とすると、なぜx歳児は0でないか、なぜy歳児は100ではないか、という問題を論じる必要性がでてきます。

ということで主張したいことは、

反応のパターンを説明すべきでしょう、

ということになる。 どうしてここでは出来て、あそこでは間違えるのか、そこには何らかのパターンや法則性やが存在するのではないか、ということになるわけです。誤差をも含めた、その反応パターンが分析の対象であり、分析者に都合のよい部分だけが考察されてはならない、これがダイナミカル宣言の大事な主張の一つになります。

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