昨年、2本ほど査読のある雑誌に論文を投稿したところ、両方不採録になりました。一つの方は国際学会(英語)であり、もう一つは通常の学会誌です。英語の方ですが、査読内容を読むと3人の査読者のうちの一人がreadabilityについてものすごく低い点をつけていて、これが原因であることがわかりました。確かに英語はうまく書けないのは事実なのですが、他の査読者はちゃんと読めると書いていますし、なんとも悔しいので論点を整理して、プログラム委員会に再審査を要求しました。もうすると、1週間ほどして採択になりました。
もう一つの方は、私が第一著者ではないのですが、やはり納得できない査読結果であったので、第一著者の人が編集委員会に手紙を書きました。その結果不採録が取り消され、つい最近になって条件つき採録になりました。
ここにまず(名前は出さない方がいいと思うので出しませんが)その国際学会のプログラム委員会、その学会誌の編集委員会の柔軟で、誠意ある姿勢に深く感謝したいと思います。また、抗議の手紙の中身をお見せできないのが残念ですが、非常によく書けていて、関連の方からは褒められました。
ここで皆さんに伝えたいことは、不採録だからといって「めげるな!」、「あきらめるな!」ということです(むろん、別雑誌に投稿というのがふつうかもしれませんが)。筋を通して、冷静に、論理的に査読内容を批判すれば、うまくいくこともあるということです。国際学会などの発表論文ではあまり再査読をやってくれないことが知られていますが、筋を通せば再審査もあるということです。また日本の学術誌の場合、編集委員会は査読結果を基本的に尊重しますので、査読がかなりまずくても(厳し過ぎるのがふつです)それで決定というケースが多いと思います。こういう場合でも筋を通せばうまくいくことはあると思います。
長年、査読をしたり(年によっては数十本などという時もありました)、されたり、の中で得た、自分なりの査読の心得をここに書き留めておきます。これに納得したら、自分が査読をやる時に思い出して下さい。
過度な水準を求めるな!
論文で報告されたこと自体にはオリジナリティがなくても、その報告が今までの知見をより強くサポートするのであれば(別種の課題、状況、年令でも同じような知見が得られる等々)、十分に報告の価値があると思います。学問研究は、オリジナリティ溢れる、斬新な、(しかし10年に一本しか出ない)論文によってのみ支えられているわけではありません。そうした斬新な研究を支える、さほどオリジナリティはない他の論文が構成する証拠の体系から成っているのです。こうした証拠の体系に寄与する部分があれば、採録にすべきと考えます。
修正可能なのに不採録にするな!
実際にはちょっとしたミスや見逃しであり、修正や追加が可能であるにもかかわらず、「はい、これ書いてないからだめ」のようなことはやめましょう。修正すればその学問コミュニティーにとって重要な知見をもたらす可能性があるのです。厳し過ぎる査読は、こうした可能性を排除してしまうという意味において、学問の発展にとってネガティブな意味しか持ち得ません。査読は運転免許試験ではないので「ウィンカー出し忘れ、はい落第(reject)」という感じで、「検定間違い、はい不再録」とやってはまずいでしょう。査読者は学問全体の発展を考えましょう。
論争するな!
査読は論争の場ではありません。査読においては、査読者が半ば一方的に相手を評価する権利を持っているわけですから、論争を行なえるようなfairな場所でないことは確かです。投稿論文の分野では当たり前となっている大前提を否定するような(あまり常識化されていない)別の(新しい?) 学派の論理を持ちだし、自分と異なる立場の人の研究をはなから認めないようでは困ります。適切な論理と方法を用いて、新規な知見をもたらすものは、自分の立場とは無関係に査読すべきです。
査読を依頼された論文誌の格を考えよ!
あまり書くべきではないかも知れないけど、一応書きます。学術誌には「格」というものがあります。ものすごい発見をして、それをきちんとした形で書くことが可能であれば、「格」の高い雑誌に投稿します(分野により違うとは思いますが、おそらく国際的な雑誌)。そういう論文になっていなければ、もう少し格下の雑誌に投稿します。さらに「一応報告」程度のことであれば、もっと下の雑誌に投稿します。読者がほとんど日本人ですから、多くの日本の雑誌は格が最高というわけにはいきません。しかしながら、「そんなことわかったら、ここに出さないよ」というような査読が結構多いのです。むろん、どんな論文であっても、それは著者の研究者としての人格を表現するものなのですから、ここで述べたことが、「いい加減な論文を日本語雑誌に載せましょう」という意味でないのはもちろんです。
ちなみに私が査読するときは、上記のことに加えておもしろさと論理を重視します。「おもしろさ」については、佐伯先生の「認知科学の方法」(東大出版会)の1章に大変参考になることが書かれています。