ダイナミカル宣言はちょっと休憩。
今日、日本認知科学会の「教育環境のデザイン」分科会に出席しました。私はそもそもこの分科会の発起人の一人でしたが、
- 奇妙な言葉遣いをする人がたくさんいること、
- それについて説明を求めると罵るように応える人がリーダだったこと、
- 子供の落書きのような論文が発表資料として配布されたこと、
により、だいぶまえに脱会しました(今日聞いたら、1は変わっていませんが、 2, 3はなくなりました)。
今回は、テーマが「教えないで学ぶ」とかいうものだったのですが、発表者が 佐伯先生、 茂呂さん (筑波)、須永さん(多摩美)ということもあり、おもしろい話が聞けるのではないかと思い出かけました(もっとも青学でやったのでエレベータで4階降りただけですが)。実際、盛況で60名しか入らない部屋に100名近くの参加者がありました。
そこで「人はなぜ学ぼうと思ったり、学ぶのをあきらめたりするのか」というような話になって、ふと昨年(あるいは一昨年)の科学研究費の集会で聞いたすごくおもしろい話を思い出しましたので、会のことはさておきここにメモしておきます。
その話は京大の教育社会学専攻の竹内洋教授による「教養主義はなぜ崩壊したか」というものでした(ここに彼の簡単な紹介があります)。彼の調査によると、明治期帝大における教養主義は文学部においてもっとも盛んで(図書館からの本の貸出し数が圧倒的に多いとか)、文学部というのは地方出身者が他の学部に比べてかなり多かったそうです。つまり、というわけにはいかないのですが、まあ話を簡単にすると、「田舎者ほど教養主義に走った」ということになります。
で、それはなぜかというと、ここからが彼の推論なのですが、都会の出身者は高度に発達した町文化(江戸や京都ですよね)というもののなかで育っており、田舎ものががんばってもとうてい及ばないような日本の教養を身につけていた。そこで田舎者がエリートとしての地位を確立するには、このハンディキャップを何とかしなければなりません。そこで出てくるのが、いわゆる今いうところの「教養」、つまり西洋の古典に由来する知識を吸収することだったのではないかというものです。西洋の古典はその当時は誰も知らないので、スタートラインはいっしょになり、どこの出身であろうと、あとは努力次第でなんとでもなるでしょう。
つまり昔の人が教養を学んだのは、それが「差別化」につながるからだというのが竹内教授の言いたいことなんです。差別化というのは、自分を他者とは異なるようにするという意味であり、オリジナリティとか個性とかいうものと同じです。まあ、新聞などにも一時よく出ていた言葉なので、あまり解説する必要もありませんが、人種差別や、部落差別などとは意味が全く異なります (そういえば、今日出席した分科会の参加者が誤解していたなぁ)。そういうものを持つ人は、よいpartnerを得る確率も増えるし、高い報酬を得る可能性も出てきます。
このことからすると、現在教養主義が崩壊するのは当たり前で、教養を持っていても尊敬されることはありません。高い報酬を得るのならば、教養ではなく、マニュアル的に試験問題を解説した本を読んだ方が効率的です。また、よい partnerをみつけるためならば、「レストランガイド」などでデートスポットを探し、それについての知識の蓄積をすること、バイトに精を出してかっこいい車を買うことの方がよほどうまくいきます。
竹内教授は、この問題に絡ませて、「なぜ大久保清はベレー帽をかぶっていたか(若い人はしらないでしょうが、彼は有名な連続婦女暴行殺人犯で、だいぶまえに死刑になりました。詳しく知りたい人はここ)」なども論じていて、ものすごくおもしろかったという記憶があります。ただし、お断りしておくと、そもそも1年以上前に聞いた話なので、ここで書いたことの中には私の脚色もあると思います。
この竹内教授の説を最初の「人はなぜ学ぶか、学ぶのをやめるか」という問題に適用すると、
- 人は差別化するために学ぶ、
- 人は差別化できる見込みがなくなったときに学びをやめる
ということになります。単なる思いつきですが、いかがでしょうか?
蛇足になりますが、こういう言い方が嫌いな人のために(つまり朝日新聞系の教育言説が好きな方のために)、
- 人は個性を見つけるために学ぶ、
- 人は個性をみつける見込みがなくなったときに学びをやめる
というバージョンも用意しておきました、ちゃん、ちゃん。