9月は忙しかった.さて認知科学会で「30年後の認知科学を考える」というようなワークショップがあり,話題提供をした.その時に提出したものをここに載せます.これはfacebook上で公開されていて,発達心理学者の無藤隆さんからはおもしろいと言われ,哲学者の土屋俊さんからはつまらないと言われています. 自分で書いている時には佐伯さんの「タテ糸,ヨコ糸,ナナメ糸」で書かれていないことを書けたのではとも思ったけど,結局ナナメ糸、ヨコ糸について別の言い方をしただけのような気もしてきた. 30年後もおもしろい研究を続けるために 認知科学の重要な問題の多くは認識論哲学から生じている.これらの問題について,人類史上に残る最高の知性を持った人間が議論を重ねてきた.しかしながら,何かが解決され尽くし,もう答えが確定したという問題は(多くは?)ない(ちなみに確定することはないことが確定したことは若干ある). このような歴史上の経緯から推測するに,30年後に視覚,注意,記憶,推論,言語,学習などの知性の根幹に関わる問題が解決されている可能性はほぼ0だろう.そういう意味において認知科学が現在扱っているテーマは,その洗練の度合い,証拠の量,問題の形式,参照すべき範囲は変わるにしても,30年後にも存在していることはほぼ確実と言える.そういう意味で30年後はどうなっているということについて,扱う問題から見る限り心配はない. おもしろい研究を続ける 我が師の佐伯胖は認知科学の厳密な定義をすることを拒絶し,「おもしろいものはすべて認知科学」というめちゃくちゃな定義(?)を提出した(出所不明).私はこうした姿勢が日本の認知科学を支える大事な柱の一つになっていると信じているし,これが続く限りは認知科学は時代をリードする学問であり続けると思う. おもしろい研究とは何だろうか.人間の認知に関わることは,何でもおもしろいと思えばおもしろい.解けない問題が解けること,こともが言葉を話し出すこと,何かを思い出したり思い出せなかったりすること,数え上げればきりがない. それで自分でおもしろがって研究を続けていけばいいかと言えばそうではないだろう.というのは,上記のいずれもおもしろくない当たり前だ,という見方も存在するからである.解けない問題が解けたのは解き方を思い出したから,こどもが言葉を話し出すのはそういう風に設計されているから,想起の可否は努力によるなど,なんともつまらない答えもたくさん用意されているからである.つまり主観的なおもしろさはおもしろさを保証しない. 佐伯はそこで有名なタテ糸,ヨコ糸,ナナメ糸を持ち出す.つまりその分野の知見を押さえ,時代精神に合致し,対立する相手との対話精神が,研究のおもしろさを構成するという.私はこの説に反対する気は毛頭ないが,別の観点を導入して,おもしろい研究の具体像を描いてみたい. 私はおもしろさには
- 何らかの参照系が存在すること,
- その参照系から見ると説明が出来ないこと,
が必要ではないかと思う.ここで参照系とは一般常識であってもよいし,過去の知見でもよいし,何らかの理論でもよい. たとえば Magical Number 7±2 はなぜ注目を集めたのだろうか.このおもしろさの背後には当時注目を集めていた情報理論,情報量の考え方がある.もしこれがなければ,この研究は大事かもしれないけど,単にいろいろ調べてご苦労 様という研究にとどまっていたのではないだろうか.語意の獲得に関して制約を持ち込んだMarkmanの研究も,その背後にQuineの提出した問題がなければ本当のおもしろさは生じない.協力などの利他行動はそれ自体でもおもしろいが, それは進化を参照枠とすることでさらにおもしろくなる. つまりプロとして研究を進めるためには,何らかの参照枠を熟知することが必要になる.そしてその参照枠からある種のパラドックスを生み出すことが,おもしろい研究につながる. 開放系であり続けるための異分野間対話 真にイノベーティブな研究を行うには,他者が参照してこなかった枠を見つけ出すことが必要になるだろう.これによって今までさしておもしろくないとされてきた研究もおもしろい研究に変貌する可能性もある.
ではどうやってそれを見つけるのだろうか.これには異分野間対話が欠かせないと断言したい.そもそも認知科学は学際科学であり,哲学,心理学,人工知能,言語学など多様な分野の研究者が作り上げてきたものである.これらの学問の持つ参照枠は半ば古典となっている.また近年はこれらの古典的な参照枠を乗り越え,認知科学は新たな対話の相手を見いだし,その参照枠を内部化させてきた.たとえば,脳の可塑性,学習能力についての知見を提供する認知神経科学,身体,環境というパートナーの性質及びそれとの相互作用のあり方についての知見を提供する生態心理学,相互作用による知性の創発についての知見を提供する談話研究,エスノグラフィー,生体,環境の相互作用を時間軸の中で統合する力学系,ある認知能力が存在するための条件を明らかにする進化アプローチ,これらとの対話を通して認知科学は不断の展開を遂げてきたと言えるだろう。 今後どのようなパートナー見つけるか,どんな参照枠を持ち込むかは重要な問題であるが,これは各研究者が見つけるべきことだろう.個人的には,考古学,人類史,農業経済学,地理学などは興味深い.
蛇足かもしれないが最後に1つ付け加えたいことがある.それは異分野対話だけで終わってはならないということである.これを認知科学のこれまでの知見と組み合わせ,内部化し,境界を作り出すことが重要である.これを怠れば認知 科学は単なる拡散の道を進むだけになる.内部化し,境界を作り出すことで新たな他者(異分野)が形成され,それによってまた新しい異分野対話,参照枠が生み出される.学会はこのサイクルがうまく回ることに目を配ることが重要な責務となる