今、ある本の原稿を書いていて、言外のメッセージに取り掛かっています。一応書いたのだけど、やはり長すぎるのでボツにしました。ただ結構上手くかけていると思うので、ここに備忘録がわりに入れておくことにします。ちなみに中身は談話研究のごくごく常識のことだから、こういうことを知っている人は特に見る必要はないです。
「冷蔵庫に角煮があるよ」と妻があなたに言ったとしよう。ふつうに考えれば、角煮というものが、家の冷蔵庫にあるというメッセージを伝えているとされる。しかし、実はこのなんでもない発話には他にも多くのものが含まれている。
第一に、妻は冷蔵庫に角煮があることを確信している、ということである。夜ご飯の残りの角煮を自分が冷蔵庫に入れたとか、スーパーで買ってきた角煮を冷蔵庫に入れておいたとか、角煮が冷蔵庫の中にあるのを目撃したとか、そういう証拠とともにこの発言を行なっている。つまり、妻はこの発話が事実であることを宣言しているのである。だから「なぜそれがあると思うの」と聞いた時、「知らない、なんとなく」という答えが返ってきたら、あなたはひどく驚くだろう。
第二に、この発話はあなたにとって意味があると妻が考えているということだ。あなたは角煮が好きだとか、お腹がすいているとか、そういう信念のもとでこの発話がなされている。あなたがなんの興味も持たないことは発話しない。仮にあなたが下戸だったときに、彼女が「冷蔵庫にワインがあるよ」と言ったとしたら、なぜそんな発話をするのかを訝るだろう。つまり、妻はあなたが角煮になんらかの意味で興味を持っているという信念のもとにこの発話を行なっている。女性が一般的に下ネタジョークに対して嫌悪感を持つのは、これが理由だ。下ネタを発する人は、聴く人が下ネタに興味を持っているという前提がある。しかし、女性たちの多くはそういうことに自分が関心を持っていると思われたくない、あるいはそもそも関心を持っていないから、それに対して不快感を催すのだ。
第三に、この発話に含まれることについてあなたは知らないと妻が考えていることがこの発話からわかる。角煮をあなた自身が冷蔵庫にしまったとしたら、つまりあなたは冷蔵庫に角煮があることを知っているとすれば、この発話はなされない。もしそれでも彼女がその発言をしたとすれば、冷蔵庫に角煮があること以外のこと、たとえば「角煮がずっと余って邪魔だから、さっさと食べて」などを伝えたいのだ。こういう字義通りの意味ではないものは、グライスという哲学者によって「会話的含意」と呼ばれている。
第四に、妻はこの発話によって、あなたが新しい知識を得ることを期待している。「冷蔵庫の中に角煮がある」という事実をあなたが知るようになることを期待している。だからこの発話の直後にあなたが「なんか食べるものないかな」と言ったとしたら、おそらく妻は「さっき角煮があるって言ったでしょ!」と言い返すかもしれないし、「ああ角煮は嫌なのね」と言うだろう。
このように発話というのは単に発話の中身の情報を伝えているだけではないのだ。発話者と発話内容との間の関係についての信念(命題的態度)、発話内容と聞き手の関係についての信念、そうしたものを同時に表出しているのだ。