第1章のWegner, D. M.によるWho is the controller of controlled processes?を読んだ.ポイントは何かというと,意図が行為を引き起こしたというのはそういう知覚を行ったということであり,実際にそうであるというわけではない、ということになる.つまり、意図を行為の原因とするのは,習慣化された因果知覚に過ぎないという、驚くべき主張である.
因果知覚は
- 直前性(priority)
- 一貫性(consistency)
- 他の可能性の不在(exclusivity)
によって影響を受けるという.つまりある出来事Xが別の出来事Yの原因となるためには,「XがYよりも前に起き(prior)、XがYと意味的に関係しており(consistent)、他にそれらしい原因がない(exclusve)」場合ということになる.昼近くになって急な腹痛に教われたとする.するとその原因は「朝に食べたものではないか」と考える.これは朝食が腹痛よりも前におき,食べたもので腹痛が起こるという意味で一貫している.その間に何かを食べるチャンスはなかったとすればこの可能性はさらに高まる.一方,朝食と腹痛の間に何かを口にしていた場合には朝食ー腹痛間の因果関係は弱まる.
こうしたことは意図と行為の因果の間にも成り立つという.たとえば実際にはまったく自分の意志は介在していない現象(動かしていたマウスが止まる)に対して,その直前にそれらしい情報を与える(特定のポイントをさす単語を与える)と自分が止めようと思って止めたと誤解してしまう.二人羽織のような状況で、特定の場所に手を動かすような指示を聞き,その後に他者の手がその場所に移動すると、自分が動かしたような気がする.つまりいずれも自分が行った行為ではないにもかかわらず,その行為の直前に関連することがらが意識されると、そのことについての意識が行為の意図(=原因)とされてしまう(constructされる)のである.
もう少し別の観点からそれを述べると,以下のようになる.実際には以下で示すように,行為の原因は意図とは別のところに存在する.しかしこの行為に時間的に近接し,かつ意味的に関連した思考が発現する.このようなとき,ここの思考は行為の原因,つまり意図とされてしまうというわけである.
思考の原因ー>思考の発現
↓ 見かけの因果
行為の原因ー>行為の発現
具体例を出して考えてみる.煙草を吸うという行為が行われる.実は煙草を吸う行為というのは,身体のさまざまな物理的状態(血中のニコチン濃度が減ったとか)、環境の状態(そばにタバコがあるとか)などから、機械論的に決定されている.これが真の因果関係である.しかしここでタバコが視野に入るとか、飽きてきたとか、眠くなったとか、そういう心理状態があり,それが「煙草を吸いたい」という思考を生み出す.すると、そうした思考は煙草を吸うという行為とほぼ同時に発生し,意味的に関連しているので、(また他のそれらしき要因もないとすれば)その思考が行為の意図とされるというわけである.
それでは意図や思考の役割とは何かというと、それはある行為とその結果のpreviewを提供することにあるという.人間は経験を通して行為とその結果についてのさまざまなエピソードを貯えている.こうしたエピソード記憶が喚起され,その結末までを見通すことが出来るという.
で、彼の言葉でまとめると,
(mental causation) is a construction nonetheless and must be understood as an experience of agency derived from the perception of thoughts and actions, not as a direct perception of an agent.
となる.
まあ、これほど大胆な話はあまり聞いたことがない.行為の原因が意図ではないとすれば、あらゆる犯罪は過失によるものであることになる.どこか変だと思う.しかしこうした枠組みを使えば,物質と精神をつなぐという難問の一部を避けることが出来るはずだ.
その他、この章を読んでいて気に入ったのは
Volition is an emotion indicative of physical change, not a cause of such changes (Huxley, 1910).
Conscious will can be understood as part of an intuitive accounting system that allows us to deserve things (p.31)
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