大学教育の誤ったメタファーと新しいメタファー(2)

前回にupした際に,大学教育についての後編を書きますと言いました.前回は,厳選された素材を集め,きっちりと企画された講義体系により,規格品としての卒業生を作る,というのが,まるで工業製品を作るかのごとくに語られている,ということから,教育=工場モデルという,暗黙の概念メタファーが使われていることを指摘しました.

これを非難することはとても容易ですが,それだけに止まらない展望も必要かなと思います.なぜなら教育は専門家(教員)と直接的な当事者(児童・生徒・学生)だけに止まらず,その親族とか,卒業生など,様々な人を巻き込むものだからであり,そして何よりもその人たちは何かポジティブなメッセージを好むからです.

さてどんな工場メタファーを超えるメタファーが可能なのでしょうか.それは生態系メタファーです.正直言って,自分ではこれ以外大学の意味はないのではと思うくらいです.大学の学生は多様です.また大学の教員も多様です.そういう多様な人たちが共生しながら,新たな価値を生み出すというのが大学だという主張です.

地球全体が生態系であるのですが,例えば森とか池とかの自然環境,里山とかビオトープのような人工環境,そういうのが最もイメージしやすい生態系かなと思います.そこでは様々な生き物たちが生息しています.森の縁あたりには日当たりのいい場所を好む植物たち,川の中にも藻などの生き物がいます.森の奥の方に行くと下の方には日当たりが悪く,湿気も多い土壌を好むこけ,シダのような生き物たち,その一方で高さを競い合い,どんどん自らの丈を伸ばしてく樹木群,このほかにもこれらの植物たち,あるいはその排泄物を食らう小動物群,さらにはそれらを食らう大型動物たちがいます.またこれらの排泄物を利用して成長する生き物たちもたくさんいます.

さて,これを読んでいる方々,大学時代の仲間たちを思い出してください.上に述べた生態系,森とよく似ていませんか.鉄道の写真に夢中になるなんだか変なやつ,不器用であんまり大したことないけど努力だけは厭わないやつ,大学にほとんど来ないでバイトに精を出すやつ,中身のないけどなぜかかっこいいやつ,大言壮語ばかりして全く実質がともなわないやつ,頭はいいけど協調性に著しく欠けるやつ,なんだか知らないけど友達が山ほどいるやつ,等々,等々,等々.

さて教員の方は自分の同僚を覆い出してください.これも学生同様とても生態系,森と似ていませんか.カミオカンデのようなとんでもない施設を使って宇宙の起源を探ろうとする研究者,17世紀の体罰の研究者(それもイギリス!).ロボット使ってサッカーのプロチーム(それもW杯に勝つ???)を作る,モーリタニアで砂漠バッタ撲滅に尽力する研究者,アフリカの猿が道具を作ったとかいう研究者,等々,等々.どれもぼくには面白さが十分に分かっているわけではないですが,そういう人たちがたくさんいます.そしてぼくはこういう研究をする人たちを敬愛します.

こういう簡単な要約を拒む人たちがいっぱいいて,そこで自分の住む場所,ニッチを探すというのが大学ではないでしょうか.中にはどんな科目でも優を取れる人がいたり,逆にどんな科目でも落第スレスレみたいな人もいると思います.でもこうした人たちがそれなりに気に入った科目で少し考え,そして少し成長する,そんなのが大学ではないかなと思っています.ということで提案したいのが,生態系メタファーなのです.

前回に書いたものの背景にはこういう事情があります.こんな多様な学生とこんな多様な先生たちがいる中で,大学全体の入学ポリシー,教育ポリシー,卒業要件ポリシーを語れというのはどういうことになるのでしょうか.同じ丈の稲になれみたいなこんなポリシーが通用するのでしょうか.入る人間をどうやって選別するのでしょうか.教員全員に大学のミッションとしてある形の授業を強要できるのでしょうか,ディプロマポリシーとかいうものは,本当に測定可能なのでしょうか.

こんなところなら行かせないとか,そんなメタファーは通用しないとか,色々とご意見はあると思います.行かせないと思った父兄の方は行かせないのがいいかもしれませんが,どうぞご本人とご相談ください.こんな教育あるわけないだろうと吠える現場教員の方には,「想像力不足」とだけ言っておきます.文科省,及びその関連の方には,ものを考えるということにもう少し真剣に取り組むための基礎教育を受けるべきと言っておきます.

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