単なるバブーじゃないんだよ

最近、うちの近くに話し始めみたいな子どもが二人いて、この子たちの「話し声(?)」がよく聞こえてくる。一人は女の子で1歳くらい、遠くで聞いているせいもあるけど、とにかく単語自体がほとんど全く聞き取れない。ということでバブーちゃんということなのかというと、全然そうではなく、日本語にちゃんと聞こえる。あえて言うと、お母さんが「何やってんのー、そんなのじゃだめじゃない」と言っているときのような、イントネーションとリズムでしきりにしゃべっている。これが何度も繰り返される。窓から聞こえてくるので、そちらがどんなシチュエーションか分からないのだが、かなりおもしろい。


もう1つおもしろかったのは、これは前の子よりももう少し上の男の子で、単語は聞こえる。会話を抜粋すると(正確ではないのだが)、
母「お兄ちゃん学校終わったんだよ」
子「あわったぁぁぁー」
母「そう、終わったんだよ」
子「あわったぁぁぁー」
子「あわったぁぁぁー」
母「そう、学校、終わったんだよ」
子「あわったぁぁぁー」
子「あわったぁぁぁー」
子「あわったぁぁぁー」
母「保育園で散歩したの?」
子「あわったぁぁぁー、さんぽー、さんぽー」
母「誰と手つないだのぉ?」
子「バァバ、バァバ」(え?馬場さん?年配の保母さん?それとも老人ホームでもいったんかなぁ)
母「そう、バァバと手つないのだぉ」
子「バァバ、バァバ」
子「バァバ、バァバ」
母「あと誰と手つないだのぉ?」
子「ジィジ、ジィジ」(???)
というような感じで続く。

これも内容面から見ると、全然会話になっていないし、また内容の真偽はむろん確かめようもないのだが、「バアバ」とか、「ジイジ」というのは、この子の保育園でのお散歩の相手とはちょっと考えられない。しかし、まあそういうことには頓着せず、お母さんがいろいろと子どもに話させて、会話のリズムみたいなのを作り出して、そこに子どもも乗っかって、自分の知ってる言葉をいろいろと披露してくれるというわけだ。母親も子どもも両方楽しいわけだね。

2つとも発話の中身はなんだか分からないのだが、立派な発話のスタイル、会話のスタイルを持っているというところがすばらしい。ここらへんから学習が始まるんだろうねぇ。単語覚えて、文法を入れておいて、適当な語用論をつまみ食いして、という形で言語を獲得するわけじゃないんだと思うなぁ。

ペットロボットなんかも、こんなのでいいんじゃないかな。と書いていたら、岡田さん(ATR)の大阪弁の女子高生のような発話をする目玉エージェント(?)を思い出した。あれって、まさにこれだ。そのときもむろんおもしろと感じたのだが、その先に気づけなかった。でも、なるほど、今になってそのおもしろさが実感できる。

もう1つ、プロソディ情報から、単語やその意味を分節する過程を研究しようとする、小松さん、植田さんの研究もまさにこういう感じに近いだろう(これの前のエントリーに書いた「知性の創発と起源」の中に彼らの研究が載っていますので、どうぞご覧ください)。彼らの研究の大事な点は、プロソディしか伝わらない環境においても、コミュニケーションは成り立ち、そこで大事なのはプロソディを読み取る聞き手の理解だけではなく、話し手の調整ということを指摘した点だ。こういうのは相互適応、共進化と言われるものだ。上の2番目のエピソードなんかはまさにこれだと思う。

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