身近な類推I

ダイナミカル宣言をしていますが、私はもともと、そして今でも類推(アナロジー)の研究者であります。いままでいつも思っていたのですが、新聞や一般の人が読む本、雑誌、新聞などにおけるおもしろいアナロジー、変なアナロジーを紹介する、新しいシリーズを作ろうと思います。第一回目は、岩波書店から出ている「科学」という月刊誌から2つほど紹介します。

大学機構改革はソープランド?
これは鳥取環境大学の学長である加藤尚武さんという哲学者が、科学 2001年10月号で述べたものです。国立大学の独立法人化など大学改革が叫ばれています。これに伴い、大学の学部、学科がいろいろと改組されています。たとえば、加藤さんによれば、繊維工学科が高分子工学科、鉱山学科を資源工学科などに改組されています。しかし、実際には中身が元のままで名前だけ変えているに過ぎない場合も多いそうです(というか、そうだよね、改組したので元からいる教員はいなくなり、新規の教員公募がたくさんあるなんていう話は滅多にありませんから)。こうした事態を加藤さんは「ソープランド方式」の改組と呼んでいます(呼び方が下品過ぎて追随者がいないそうです)。

多くの人はこれでピント来ると思いますが、一応説明しておくと、むかしソープランド(しかし、この名前は慣れたからもうおかしくないけど、傑作ですよね)は、「トルコ風呂」、あるいは単に「トルコ」と呼ばれていました。しかし、在日トルコ人、トルコ(政府?)などから「トルコにはそんな下品な風呂はない」と非難され、特殊浴場組合(たぶん)が新しい名前を考えて、それが「ソープランド」となったというわけです。むろん、中身は大学同様(?)変わっておりません(と思います)。

というわけで、

大学の古い学科:新しい学科=トルコ風呂:ソープランド

というアナロジー(四項類推)になります。

余談ですが、ソープランドという地名はないのかな。ソープ族が住んでいるところはソープランドという地名だったりして(フィンランドっていうのは、そういう経緯でついた名前ですよね)。そういえば、コープランドという作曲家がいたなぁ。どうでもいいか。

臨床心理と薬
これは、私の敬愛する波多野誼余夫先生がやはり岩波の「科学(vol.71, 4/5合併号, 2001)」に載せたものです。この類推は境界例ともいえるもので、おもしろい形式を含んでいます。スクールカウンセラーの採用条件が現在、「臨床心理士等」とされているそうです。ところが、心理学関係の資格は現在10以上もあるそうで、中には子どもの発達や教育により特化した資格もあるのに、なぜことさら臨床心理士でなくてはならないのかがわからない、もしそうするのならば、臨床心理士をスクールカウンセラーとして置いた場合には、他に比べてより効果があったという証拠がいるだろう、というのが波多野先生の意見です。そこで、次のような類推が出てきます(市販雑誌なので、そのまま抜粋するわけにはいかないので、私なりに多少脚色してあります)。

厚生労働省が何の治験データもなしに、制ガン剤とは某社の製品Xのみを指すとしたら、許されるか

↓(これが許されないように)

データもなしに臨床心理士だけをスクールカウンセラーとする、という文部科学省のやり方は許されない。

ここでベースは薬、および厚生労働省によるその認可であり、ターゲットは臨床心理士および文部科学省によるスクールカウンセラーとしての認定となります。つまり、ここでは薬という馴染みのある文脈を用いて、あまり良く分からないスクールカウンセラー(臨床心理士)に関する事態(の不適切さ)を指摘しているわけです。

これは皆さんすぐに納得できる分かりやすい類推ですが、従来の類推のパラダイムとは異なる、興味深い点を含んでいます。従来のパラダイムでは、ベースは長期記憶中に存在する過去の経験(に関する知識)とされています。そしてこれを用いて未知のターゲットを理解、説明、解決するというのが、ふつうの考え方です。

しかし、波多野先生が挙げた薬の例は彼の長期記憶の中に存在したものなのでしょうか?どうも違いますよね。本人ではないので分かりませんが、たぶんスクールカウンセラーに関する事態の不適切さを指摘するために、波多野先生が自分で作り出したのではないでしょうか。とすると、これはターゲットに触発されて生み出された、仮想的なベース (hypothetical base analog)を用いた類推ということになります。

考えてみると、波多野先生の類推のような仮想的ベースに基づく類推は例外的ではないですね。私たちが子どもを叱る時に、「もし自分がそういうふうにされたらどう思う?」などとよく言います。これも考えてみれば、他人というターゲットの感情を理解する時に、「仮に自分がそうだったら」という仮想的なベースを用いるわけですよね。

こうした類推は、認知科学のメインストリームの研究では全く取り上げられてきませんでした。しかし、私の友人のBipin Indurkhya(ビピン・インドゥルキヤと読みます。彼は約10年前にMetaphor and Cognitionというすばらしい本の中でこれを指摘しています)さんが主張する相互作用アプローチ、そして彼が依拠するMax Blackの比喩説はこの波多野先生の類推をうまく説明できる枠組を提供しています。彼らは、類推や比喩は決して固定した記憶表象に基づくのではなく、ベースとターゲットの相互作用から創発されるということを強く主張します。

うーーん、だんだんダイナミカル宣言になってきました。何を言ってもダイナミズムに行き着く。長くなってきたので、

ダイナミズムは私のアトラクタだ

という比喩でとりあえず話をしめます。

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